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  媛媛講故事―24

                                 
  八仙人の伝節 Ⅳ 
                                   
                             張果老              何媛媛



 八仙の中に、後ろ向きにロバに乗っている奇妙な老人がいます。この老人は姓を張、名を果と言い、見るからに相当な年恰好なので人々に張果老と呼ばれていました。しかし、張果老の実際の年齢を知る人は誰もいませんでした。

 自分では尭(注1)の時代に生まれたと言っていましたが、民間では張果老は実は人間ではなく天地開闢以前から存在していた白蝙蝠の精で、不老不死の術を修め施す法力を身につけた神ということになってます。が、中国の古典として知られた「唐書」には、張果老は確かに存在した人物として記録されています。

 言い伝えでは、唐の太宗皇帝(626年~649年)や高宗皇帝(628年~683年)は長生の方法を知りたいと思い何回も張果老を宮中へ呼びました。しかしその都度謝絶され果たせませんでした。また女帝・武則天(623年~705年)の時代にも仕官の道を用意し呼び寄せようとしましたが、張果老は腐乱死体となって見つかったので、張果老は死んだと信じた武則天はあきらめざるを得ませんでした。しかし、それから暫くして人々は山中で死んで見付かったはずの張果老を見かけたそうです。

 また、張果老は唐の玄宗皇帝(685年~762年)の招きに応じたことがあるそうですが、その時の姿は髪も薄くなり歯もすっかり失ったよぼよぼの老人の姿で皇帝の前に現れ、皇帝がその姿に吃驚して、

 「そなたは不老不死と伝え聞いているが、どうしてこのような姿なのか?」

 と訊ねました。すると張果老は答えて

 「わしは、人がいうような道術など使用してはいない。しかし、この髪と歯を抜けば新しい毛と歯が生えてくるのじゃ」

 というや自分の髪と歯を抜き始めました。そして、暫くたって顔を見ると既に黒々とした髪、白い歯になり、容貌がすっかり若返っていたということです。

 唐玄宗が狩猟に行き、大きな鹿を捕獲しました。厨房にすぐ料理をするように命じたところ、それを知った張果老は「これは仙鹿だ。既に千歳になっている、その昔、漢の武帝もこの鹿を捕獲したが、結局放したものだ」と忠告しました。玄宗が不思議に思い、
 「天下は広い、鹿も沢山いるではないか。なんでこの鹿が漢の武帝が捕獲した同じ鹿だと分かるのか」

 と訊ねました。張果老は、

 「武帝が放した時、鹿の耳の下に銅の札をつけて標にした」
 と答えました。

 玄宗が鹿の耳を調べてみますと確かに彼の言う通り、銅の札が付けられており、文字も長年を経たもののようでおぼろげになってしまい読みとれません。

 玄宗は再び、

 「漢の武帝が狩猟したのは何時なのか」
 と訊ねました。

 「八百五十年前のことだ」

 と張果老が答えましたので玄宗は人に史書を調べさせてみますと確かにそのような事実があったようでした。

 さて、张果老のロバですが、それも「仙驢馬」と伝えられ、一日に万里を走ることができ、張果老が乗らないときは、折り畳んで袋にも入れられるそうです。ところで、張果老は後ろ向きにロバに乗っている姿で描かれますが何で後ろ向きに乗るのでしょう。

 実は張果老は元々後ろ向きに驢馬を乗っていたわけではなく、それは或る賭けに負けて以来のことなのです。
 その賭けというのは次のようなものです。

 今の中国の河北省には世界最古と言われる有名な石橋・「趙州橋」(注2)が当時の姿のままで残されており、歴史的にも名高い大工・魯班の傑作として知られています。

 ある時、魯班が一夜でこの趙州橋を建てたという話が広く伝えられました。張果老はそんな巷の噂は信じられないと思い、驢馬に乗って趙州に向かっていきました。その途中、柴を積みあげた一輪車を押していた柴王爺という仙人仲間に出会い、二人一緒に「趙州橋」を見に行きました。

 趙州の洨河の畔に来て見ると、噂の趙州橋は龍のような、力強く迫力ある姿ながら川面に映る影は虹のように優雅です。

 「さすがに魯班だ。これは正に奇跡じゃ!」

 二人の仙人は大変感動しました。そして魯班の実際の腕前を確かめたいと思い、魯班のところへ行き张果老は訊きました。

 「この橋はとても丈夫だと聞いているが、わしが驢馬に乗って通ても大丈夫かな?」

 と魯班は、

 「いいとも。この橋は千軍万馬が通ってもびくともしない。驢馬も車も人もみんな一緒に通ってみてはどうだ」
 と自信満々に答えました。その答えを聞いた张果老は、

 「なんと傲慢な若者め、ひどい目に会わせてやろう」

 と考え、次のような賭けを提案しました。

 「よし!では、賭けをしよう。もし我等二人が無事に通ったら、わしはこれから驢馬に後ろ向きに乗る。しかし橋が耐えられないで崩れたら、おぬしは二度と大工の仕事をやらないというのはどうじゃ?」

 魯班はもちろん豪快に応じました。

 二人の仙人は橋に向って足を運びながら、こっそり法術を施し、张果老は月、太陽、星を集め袋に入れ、柴王爺は五岳名山を袋に納めて一輪車に乗せ橋を渡り始めました。橋の真ん中までもうすぐのところで、流石の橋も揺らいできました。

 魯班は「これはまずい」と思うと、素早く川に飛び込んで、腕一本で橋を支えました。橋はしっかり立ち直りました。张果老と柴王爺が橋を通過し振りかてってみますとなんと橋は依然元のまま堂々と立って傷一つもありません。张果老は負けを認めて、以後、後ろ向きに驢馬を乗るようになったということです。(続く)

 

注1)堯(尭、ぎょう):中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され聖人と崇められた。   (フリー百科事典『ウィキペディア)

注2)趙洲橋:河北省趙県の洨河に架けられた橋で、隋代に建てられ、1400年の歴史を持っている世界最古の石橋として知られている。話によると今も张果老と柴王爺が橋を通った驢馬の足跡と車輪の痕跡が残されているといわれる。



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